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東京地方裁判所 平成8年(合わ)256号 判決 1997年1月16日

主文

被告人を懲役四年六月及び罰金一〇〇万円に処する。

未決勾留日数中一六〇日を右懲役刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

押収してある覚せい剤一七包(平成八年押第一〇八〇号の1)及び覚せい剤三袋(同号の2)を没収する。

被告人から金一〇万円を追徴する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、みだりに営利の目的で、

第一  平成八年五月一四日午後零時三〇分ころ、東京都中野区新井<番地略>の被告人方において、甲野に対し、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンの結晶約八グラムを代金一〇万円で譲り渡し

第二  同日午後一時一一分ころ、前記被告人方において、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンの結晶四〇・一六八グラム(平成八年押第一〇八〇号の1及び2はその鑑定費消した残り)を所持し

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも覚せい剤取締法四一条の二第二項、一項に該当するところ、いずれも情状により所定刑中懲役刑及び罰金刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役四年六月及び罰金一〇〇万円に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一六〇日を右懲役刑に算入し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、押収してある覚せい剤一七包(平成八年押第一〇八〇号の1)及び覚せい剤三袋(同号の2)は、判示第二の罪に係る覚せい剤で犯人の所有するものであるから、覚せい剤取締法四一条の八第一項本文によりこれを没収し、判示第一の犯行により被告人の取得した金一〇万円の現金は国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律一四条一項一号の不法収益に該当するが、既に費消していて没収することができないので、同法一七条一項を適用してその価額金一〇万円を被告人から追徴することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(争点に対する判断)

一  弁護人は、本件は、いずれも違法なおとり捜査に基づいた違法な起訴であるから、公訴棄却されるべきであり、また、公訴棄却されないとしても、本件各公訴事実にかかる一切の証拠は、違法なおとり捜査の結果得られた違法収集証拠として排除されるべきものであるから無罪であると主張するので、以下、証拠に基づいて判断する。

二  おとり捜査の有無について

乙山は、かつて被告人と一緒に覚せい剤を使用して捕まったこともある、被告人の三〇年来の友人であった(乙6、8、被告人の公判供述)ところ、平成八年の二月ころから、被告人方に、一時連絡が途絶えていた右乙山から時折電話が入るようになり、同年四月中旬に、乙山が被告人方を訪れた際、被告人は、乙山に対して自分が覚せい剤の密売をしていることなどを話した(乙8、被告人の公判供述)。

他方、同年四月ころから警視庁王子警察署に派遣されていた警視庁生活安全特別捜査隊の丙川警部補は、同月下旬ころ、当初の目的であった銃器事件の捜査が不首尾に終わり、その後、引き続き、別の事件を共同で捜査することになり、平成五年ころ以降複数の者から被告人が自宅で覚せい剤の密売をしているとの情報を得ていたためその中の一人である乙山に連絡を取ったところ、同人から「被告人は、一回に五〇ないし一〇〇グラムを仕入れて、一〇数人の客に密売している。」「友人の丁原方を倉庫にしている」「四月中旬に被告人方で覚せい剤約五〇グラムを見た。」という供述を得て、さらに一〇日程度の内偵で得た情報も併せて、被告人方と丁原方を捜索場所とする捜索差押許可状を請求し、五月一三日右令状の発付を受け、同日午後、乙山に近々捜索を実施する旨伝えた(小原証言)。

乙山は、真実は覚せい剤を入手する意思はなく、捜査に協力する目的で、同日の夜、被告人に電話で「ねえさん、薬入るか。」「いくらで入るの、一〇でいくら。」「じゃあ三〇お願いします。明日の一時ころ金を持って取りに行きます。」などと話して、覚せい剤三〇グラムを注文し、翌一四日午後一時に乙山が被告人方に受け取りに行く約束をした(乙6、8、被告人の公判供述)。

被告人は、この注文に応じるため、新たに覚せい剤三〇グラムを平成七年四月ころから覚せい剤を仕入れていた戊木に注文し、これを同月一四日正午ころ、戊木方で受け取り(甲9、20、22、乙6、8)、自宅に戻った。その後、被告人は、同日午後零時三〇分ころ被告人方を訪れた甲野に、代金一〇万円で覚せい剤約八グラムを譲り渡した。同日午前八時三〇分ころから被告人方付近を内偵していた丙川らは、一〇分ほどして出てきた甲野を尾行したが、途中で見失った。そして、被告人が乙山の来訪を待っていたところ、次にのべる捜索の五分か一〇分前ころ、乙山が覚せい剤の用意ができたかどうかを確認する電話を入れてきた(乙6、8、被告人の公判供述)。

一時五分ころ、丙川ら捜査官は、前記令状に基づき被告人方等に捜索に入り、本件覚せい剤約四〇グラムを発見押収すると共に、被告人を逮捕した(現行犯逮捕手続書、小原証言、被告人の公判供述)。

以上のような乙山の注文状況、丙川ら警察官が被告人方に捜索に入ったタイミング、乙山と丙川との関係などからすると、丙川が右乙山の注文があったことをあらかじめ承知していたのではないかと一応疑われる。これに対し、丙川は、右丙川の注文を事前に知っていたわけではなく、当日甲野が買いに来るとの情報を得ていて、その際に捜索に入る予定であったが、ちょうどその時無線が通じなかったため、時機を失し、甲野の尾行にも失敗したため、その後に捜索に入ったものである、事前の捜査結果から覚せい剤を発見できると考えており、あえておとり捜査をする理由がないと証言している。右証言内容は、特に不合理なものではなく、捜査上のミスを重ねたことを隠さずに供述していることや己田証人も客が買いに来た際に捜索に入る予定であったこと、無線の故障があったことを供述しているから、一応信用できるものと考えられるが、しかし、丙川証言と己田証言の間には無線の使用状況が一致しないなど曖昧な点があり、本件捜査がおとり捜査であった疑いを完全には否定できない面もある。

三  本件捜査の適法性について

しかし、被告人は、昭和六二、三年ころから覚せい剤の密売を始め、平成七年八月から本件まで営利を目的として継続的に一〇日に一回の割合で約三〇グラムの覚せい剤を仕入れては、一五、六人の常連客に小売りをしていて、その小売りの一回当たりの量も場合によっては一〇グラム近くに及んでいたところ、乙山の被告人に対する働きかけは単なる申し込みに止まっており、本件は、覚せい剤所持の犯意のなかった者にその犯意を新たに誘発させるといった類いのものではないのであって、そのことに加えて、本件においても被告人は買い受けた覚せい剤を、捜査機関への発覚を恐れて譲渡する直前まで仕入れ先に置いておくなどの工夫をしているように、捜査が困難であるという覚せい剤事犯の特殊性を考え併せれば、仮に弁護人が主張するように乙山を使ったおとり捜査が本件で行われていたとしても、それは違法な捜査方法ではなく、本件各公訴提起手続を無効にするものではないのはもちろん、これによって得られた証拠も違法収集証拠ではないことは明らかである。

したがって、弁護人の主張はいずれも理由がない。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、いずれも営利の目的で、覚せい剤約八グラムを客に一〇万円で密売し、被告人方において、密売用の覚せい剤約四〇グラムを所持したという事案である。被告人は、覚せい剤による害悪を自己の経験を通じて十分知っているはずであるのに、前記のとおり、継続的、定期的に多量の覚せい剤を仕入れては密売して多額の利益を上げていたものであって、そこには強い営利性、常習性が認められ、その犯行態様は悪質である。その上、被告人は、生活費相当の社会福祉の給付金をも毎月受け取りながら覚せい剤の密売を続けて相当多額の金員を確保していたもので一層犯情が悪い。さらに、被告人は、覚せい剤取締法違反の前科(いずれも自己使用又は非営利目的所持のもの)だけでも五犯あり、相当長期間服役してきたにもかかわらず、覚せい剤密売を続けて本件犯行に至ったのであるから、覚せい剤事犯に対する常習性は一層顕著であると認められ、その刑事責任は重いと言わざるを得ない。

しかし、他方、本件所持分のうち、約三〇グラムについては前記のとおり、警察協力者の申し込みに応じて仕入れていたものであって、被告人からさらに社会に拡散される危険性はそもそも少なかったこと、被告人が捜査当初は自己の刑責を軽くするため種々の虚偽供述をしてはいたものの、入手先及び販売先は自供するなど一応反省の情を示しており、高齢でもあるから再犯のおそれは少ないと考えられることなど、被告人に有利に斟酌できる事情も認められるので、主文のとおりの量刑が相当である。

(裁判長裁判官 多見谷寿郎 裁判官 加藤 学 裁判官 馬渡香津子)

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